(きげつどう −Ki ge tsu do u−)
喜最中を完成させた初代・常住喜代治翁は
千葉県市原郡平三村(現、南総町)の農家の二男に生まれた。

15歳で東京に出て酒問屋に奉公、翁自身はかねてから
菓子の道に夢を抱いており、修業のかたわら独学で研究。
ゆくゆく菓子店を開業するのを一生の天職と心得ていた。

明治33年3月、本牧の地にようやく菓子店を開業。屋号は「喜月堂」。
「誰からも愛され喜ばれる最中づくり、菓子づくり」に没頭すること約10年。
最良の餡(あん)をはみ出すほど盛りこんだ前述の「喜最中」をつくりあげた。

当時としては、それまで最中という概念からかけ離れた着想に人々は度胆を抜かれたが
「よろこび最中」「お笑い最中」はたまた「はみだし最中」と愛称したものだ。
翁が精魂をかたむけた「仕事」が認められたのだ。
喜最中は昭和25年11月、県の銘菓 昭和20年5月の横浜大空襲で丸焼けとなり、
2代目・常吉と妻・幾恵が、再建のため立ち上がった。
12月には小屋がけのようなものながら店を再興している。

常吉は初代の意志を継ぎ伝統として守り、
最中をはじめさまざまの銘菓を生み続けた。
中でも「そば饅頭」は昭和26年、
全国菓子協会選抜品評展示会に入賞。

現在、3代目・勝久、4代目・和正は西暦2000年春に
創業100年を迎え、改めて初代の意志を受け継ぎ、
伝統を守り続けたい気待ちを再確認している。